東大卒無職による生存方法さがし

新卒で入社した会社を二か月で鬱になって休職した東大卒が日々生存方法を探すブログ。

幸福とは

自分はどう生きれば幸せだと感じるのか。

就活の時をはじめ人生の節目節目で考えたが、全く的外れだった。

今日はそのことについて少し書こうと思う。

 

東大というのは二つの面がある。

ひとつは「官僚養成」というテーマに代表されるように、社会的なエリート養成という使命。

もう一つは、真理以外の何物にも従属せず、知を追及するという目的。

 

もちろん研究の結果得られた知見は少なからず社会に還元されるであろうから、結果的にどちらの側面も社会貢献という意味では重なる部分を持つ。

しかし、である。

東大生を見ていると、その人物がどちらの目的に沿って東大に入学してきた人物かがはっきり分かれるように思う。

 

単純に東大入試を、なりたい職業に就くため、将来的に望みの生活をするための登竜門、要するに超えるべきハードルとして認識し、突破した者。

 

それに対し、生まれついた気質が、学問に対して親和性が高かった者。

彼らは他人が勉強したくないという理由が時として理解できない。勉強は楽しいか、少なくとも苦ではない。また多くの場合、記号を操作する能力等にも秀でているのであの入試もクリアーできるという具合である。

 

本来全く異なる二つの組織が、東京大学という単一の名前を与えられることによって同一視されているがゆえに、少々混乱が生まれる。本来、生まれつき学問に親和性をもっていただけの存在が、社会的のエリートとしての切符を得た(ように見える)場合、やっかいなことが起こりうるのである。というか、これは私のことである。

 

 

今日はこの上で、自分はどうすれば幸せなのか考えてみた。少なくとも出世などはどうでもよい。素朴に、簡素に、自然に、穏やかに、楽に、気ままに、身軽に、健康に、楽しく、生きていたいと思った。正直もう競争はしたくないし、金がかかる趣味もないので、別に高収入でなくてもよい。週2か3、最高でも4日ほど働いて、好きな人たちと笑っていられる。そして夕方、いい風がふく公園を犬と散歩でも出来たら最高だ。ほかには望まない。

どうせ何も持たずに生まれてきたのだから、何も持たずに死んでいけばよい。死んだあとの骨は故郷の川にでも捨てておいてくれ。そんなことを考えていた。

 

 

労働が私にとっての人間らしさを損なうものであるならば、私はもはや働きたくない。もはや。

 

しかし、夜、彼女に「働きたくない」ことを電話で打ち明けたところ、ドン引きしていた。現実とはなんとつらいのであろうか。まじ働きたくね~~