東大卒無職による生存方法さがし

新卒で入社した会社を二か月で鬱になって休職した東大卒が日々生存方法を探すブログ。

好きだった映画

今日は水泳でもして体力を取り戻そうと考えていたが、昨日の夜風邪気味だったので大事をとって安静にしていた。基本ずっと家にこもり、勉強をしたり家事をしたり。それからAmazonで買い物(服とRick and MortyのDVD)をして、プライムビデオでスラムドッグ・ミリオネアを観た。テレビ番組のクイズミリオネア(日本版ではみのもんたが司会してたあれだ)にスラム育ちの青年が挑戦し、壮絶な人生の記憶をヒントにクイズをクリアしていくという内容だ。

さすがアカデミー賞をとっただけあって、画面から伝わる緊迫感がすごい。映画は正直よくわからないが、名作であることは間違いなさそうだ。

 

大学一年生の時、私はよく映画を観た。それは、映画が好きだからではなく、大学生だから教養をつけるため、あるいは人間としての魅力を増すためにはたくさん映画を観なくてはならないというような強迫観念からだった。大学入学後すぐ読んだ、「大学生のうちにやっておかなければならない〇〇個のこと」みたいな本にそう書いてあったのだと思う。

 

当時観た映画の中では、『桐島、部活辞めるってよ』が最もお気に入りだった。というのも、有名な評論家がこの映画を批評しているのを観て、感心したからだ。

 

曰く、この映画は不条理演劇として有名なベケットの『ゴドーを待ちながら』を手本にしているということだ。『ゴドー』では、二人の浮浪者が何者かもわからないゴドーをただ待っているというだけで、筋の通ったストーリーもない。それは、神を失って不条理を生きるしかない人間社会への強烈な皮肉である。つまり、ゴドー=ゴッドであると。

一方の『桐島、部活辞めるってよ』においてもスクールカーストという社会秩序の中心にいた桐島を喪失した学校社会の動揺を描くという点で『ゴドー』構図が共通している。つまり、桐島=キリストであるとかなんとか。

 

両方の作品で、ゴドーも桐島も最後までその姿を現さないところに、なぜだか凄く惹かれ、駒場では不条理演劇を扱った講義をとったりした。(『桐島』に触発されてその講義をとった者は、ほかにもいた)

たしか、その講義を履修した人の中に、「ごどう」という名前の人がいたが、全く出席しなかったので、教授が「今日も、ごどうさんを待ちながら講義を始めていきましょうか」というギャグをいっていた気もする。講義はかなり面白かった。

 

『桐島』の吉田大八監督の作品はだいたい観た。中でも『パーマネント野ばら』を男性による女性の抑圧を描いた作品として捉え、当時気持ち悪いフェミニストだった自分はますますキモイ感じになっていたことを思い出す。

 

こうして思い出すと、当時映画にはまっていたことは、実はいい思い出なのかもしれない。今、『桐島』と『ゴドー』の話を聞いたとしても、要するにパクリか劣化コピーってことじゃん!という感想しか持たないかもしれない。

 

変な思想にかぶれるとか、気持ち悪い評論家気どりみたいにならなければ、少なくとも映画をみることの害はないのである。