【ちょっと暗い話】松本人志に対してなぜか恐怖を感じるという話
私は中学生以来、テレビ番組を観なくなった。
それまではテレビが大好きだった。
火曜日の「リンカーン」を楽しみにしていたし、小3の時などは「トリビアの泉」を観て笑い転げていた。もちろん友達と話すときも、テレビの話題がよくでてきた。
そんな私だったが、中学入学を境にテレビに何の興味もなくなってしまった。
もちろん、
「中学生にしてテレビ全然観なくなった俺って皆と違ってカッコよくね??」
的な中二病要素があったのは否定しない。
ただ、本当の理由はもっと別のところにあるような気がしている。
……私がテレビを観なくなった本当の理由はこうである。
芸人たちのやり取りが、厳しい上下関係を前提に行われていることが見えるようになってきたからである。
芸能界は礼儀に厳しいという。
楽屋に挨拶に来たとか来なかったとか、そういうことがとても重要らしい。
上下関係の厳しさは、画面の外だけでなく実際の番組中にも反映されている。
例えば芸人のなかでも、新人はいじられ役である一方、大御所は新人をいじったり新人の芸についてあれこれコメントしたり、と役回りがはっきり決まっていることに気づく。
芸人の間にもパワーバランスがあり、いわば「権力の力学」のようなものに従って役回りが決まっていくのだ。
そういうことが中学生くらいから見え始めてきて、素直にテレビを楽しめなくなったのである。芸人の笑顔が、実は作りもののように見えてきた。
ダウンタウンが「あいつは挨拶に来なかった」とよく怒ってたりするが、逆に新人芸人が「ダウンタウンは挨拶に来ない」とキレている場面を見たことがあるだろうか。
……私は、社会的な立場を尊重するということが苦手である。
もちろん頭では何となく理解している。金融機関にいた時も、飲み会ではテーブルを回って挨拶していったり、ビールを注いで回ったり、ということをしていた。
だが、同期はどうも本能レベルでそういうことがパッとできるのに対し、私は明らかに一旦意識のフィルターを経由してから行動に移さねばならなかった。
……ストレスだった。
めちゃくちゃストレスだった。
そして、こういう経験を通じて、就活で体育会系が有利である理由がよくわかった。単に体力があるだけではない。
「社会的な序列のもとに行動する」ということを本能レベルで体得しているのだ。
自然に上司を立てたり、飲み会等において自分に求められる役割を自然に完遂できる。
私は、自分の社会的な立場を1ミリも疑っていない人間に恐怖を感じる。「立場」という見えない力に支配された人間の集まりを、野生動物の群れのように感じてしまう。
そういう訳でタイトルに、松本人志が怖いと書いたのである。
てか、ここまで書いてみて、松本人志より坂〇忍の方が無理だと気づいた。