和牛の面白さを東大卒が分析してみた
どうも、せり沢です。
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皆さんはお笑いが好きだろうか。
過酷な日本社会でぼろぼろになっている人の中には、笑いによって疲れを癒したいという人も多いだろう。
実際私もyoutubeでダラダラお笑いを見ていると、あっという間に数時間が溶けている。
特に私はコントが好きで、ジャルジャルと、かもめんたるにハマり中である。。
……そんな私だが、昨日は珍しくコントではなく漫才を見ていた。
和牛というコンビだったのだが、これがまあ面白かった。
もうすでにめちゃ有名なので、和牛というコンビ自体の説明は不要だろう。
が一応書いておくと、和牛はよしもと内でもっともチケットがとりにくい芸人である(wikiより)。その漫才は玄人からの評価が特に高く、松本人志や爆笑問題も絶賛しているという。
とりあえず知らない人はyoutubeで和牛と打ってネタを見てみてほしい。
とにかく和牛の漫才が面白かったので、今日はなぜ和牛は面白いのか、というテーマで記事を書いていきたい。
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服装などの細部にもこだわり
和牛は、いったいどれだけの試行錯誤をしたのだろう。
彼らの漫才には、随所に工夫がみられる。
この二人は、常に
「お客さんからどう見えるか」
「お客さんにどう伝わるか」
を考え続けている。
例えば服装。
毎回決まった衣装があるわけではないが、傾向としては二人ともスーツっぽいフォーマル目な服装をすることが多い。
その枠内でもボケの水田さんは、カジュアルで少し派手目というか微妙に「ズレた」感じの服装が特徴的だ。
ネクタイをしているときは少し派手目な柄が入っていることもある。
二人の漫才において、水田さんは理屈っぽくて厭味ったらしいキャラであることが多い。彼の服装がはどこかそれにマッチしている。
……一方の川西さんはというと、基本的に青のスーツである。
言うまでもなくスーツはもっともフォーマルな服だ。
二人の漫才において川西さんは、屁理屈をまくしたてる水田さんに対して、常識人の役回り。
スーツというのは川西さんのイメージに非常にマッチしている。
あるいは逆に、スーツを着ることが川西さんのイメージ形成に一役買っているのかもしれない。
余談だがwikipediaによれば、川西さんの身長は170cmということだ(ちなみに水田さんは168cm)。
私はてっきり175くらいはありそうだと思っていたので、これは意外だった。
バシッとスーツを着ているので、背が高く見えるのかもしれない(もともとスタイル良いのだろうが)。
とにかく、パッと見の印象と実際のキャラが合っているので、漫才の内容がストレスなく頭に入ってくる。
声がめちゃめちゃ聴きとりやすい
次に発声。
和牛を知っている人ならわかると思うが、とにかく声が聞き取りやすいのである。
川西さんはよく良い声だといわれるようだが(実際私もそう思う)、水田さんの声も聞き取りやすい。
滑舌が良いのか、発声がいいのか。
ネタがどれだけ良くても、そもそも聞き取れなければなんの意味もない。
一番の笑いどころで噛んでしまったら、興ざめだ。
おそらく芸人さんにとってはそんなことは基本の基本だ。
和牛は、その基本を高いレベルで押さえている。
芸人さんは当然一般人より滑舌が良いわけであるが、和牛はトップクラスだと思う。
自分たちの声を聴きこんで、相当練習したに違いない。
余談だが、私は結構声が聞き取りにくいと言われるのでこれはかなり羨ましい。
異常にうまいテンポ
テンポ、間の取り方、身振り手振り。
一流といわれる芸人さんはこれらの言葉で詳しく説明できない部分が他と違う。
実際言葉で説明できないので、とりあえず次の動画を見てほしい。
水田さんが一人旅行で旅館を訪れ、川西さん演じる仲居さんがそれをもてなすという設定の漫才だ。
https://www.youtube.com/watch?v=pwQ_CDQWueY
この一部を、文字で書き起こすと↓のようになる。
「はあ着いた。」
「いらっしゃいませ。」
「予約してる水田です。」
「水田さんね。1名様で。お伺いしております。せやけどビックリした。男前やね。」
「全然全然。そんな、全然大したことない。」
「トム・クルーズ来たんかな思たもん、おばちゃん。」
「水田です。」
「男前やねえ言うて、そういう意味で言うたの。まあほんなら、上がってください。」
「はいすんません。」
「お荷物預かりますね。」
「結構、重たいんであなたぐらいの年の方やときついと思いますよ。大丈夫です。僕持ちますんで。年齢はおいくつですか?」
「68。」
「じゃあ完璧なお年寄りなんで僕持ちます。大丈夫です。案内お願いします。」
「ああそう。優しいんやね。」
「全然大した事ないです。」
「どうぞ、お部屋ご案内させて頂きます。お部屋着きました。入ってください。見てくださいもう、この窓からよう景色見えるでしょ?
もう海も山も、空も見える言うてね。またね、別の季節も大事な人と来て頂けたらなあて。」
「ああ。」
「ご結婚は、されてます?」
「してないです。」
「あらそう。もったいないこんな男前やのに。おばちゃん、若かったら立候補してる。」
「その若い時の写真とかあります?その立候補するであろう年の時の写真今持ってますか?」
「そんなんないよ。」
「じゃあその、まあ予想になるんですけど多分お断りしてると思います。すいません。なんかすいません。」
「いい。うん、いいよ。うん。」
面白さ半減である。
和牛の漫才では、水田さんのネチネチとした理屈が人間の何かを掻き立てるからなのか、観ているとテンションが上がる感じがする。
しかし文章にするとなぜか、全然このテンションが上がっていく感じがしない。
勿論さっきの書き起こしでは、あえて間を殺すために感嘆詞を抜いたりして単調な文にしているが内容そのままだ。
文字にするときに抜け落ちてしまった何か。
お客さんの笑い声なども考慮した間の取り方や、テンポ、声のトーン、ボディランゲージ。
あるいは私が気づけなかった数多くの要素。
それが和牛の笑いのキモなのだろう。
結論:和牛面白いよね
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ここからは余談。
こうして色々考えてみると、逆に文章だけで面白いものを作るというのがいかに難しいかよくわかる。
人間の心をパッとつかむには、視覚的な魅力(例えばイケメン・美女など)やリズム(音楽)などの方がはるかに優れている。
言葉というのは、どうしても受け取る側に負担をかけてしまうし、面白さを伝えにくい。
特に言葉を「聞く」ならまだしも「読む」という行為は結構ハードルが高い。
私も今はブログなど書いているが、いずれyoutubeなどでの動画作成なんかもしてみたいと思ったのが今日の学びだった。
ちらっと思ったが、「笑い」って説明されると冷めるので、こういう分析ってある意味芸人さんに対するテロ行為かもしれない