東大卒無職が働かずに生きるブログ

東大卒が感じた社会の厳しさを綴るブログです。開発したサービス(フリマルっていいます)の話もちょくちょく

自己紹介その3

今日はほとんど何もしていないのに辛い一日だった。

焦燥感と将来への不安。

同期が私を心配してラインしてくれたが、むしろ会社のことを思い出してしまい、憂鬱になった。色々状態について何人もから聞かれるのは正直しんどい部分もある。

申し訳ないことだな……

 

気をとりなして、昨日の続きを書く。

 

ミス続きで、辛い思いをする毎日の中で、すこ~しづつ調子が悪くなっていった。常にぼーっとして集中力がない。趣味だった洋書に関心がなくなる。早朝に目が覚める。慢性的な憂鬱な気持ち。

そして、ある日、胃腸か食道かよくわからないが、強烈な気持ち悪さにおそわれた。夜寝る前くらいに気持ち悪くなりだし、朝起きた時にはそれは悪化していた。その日はほとんど食べることができなかった。

 

似たような症状は以前にも経験があった。浪人時代である。難しめの大学を目指す受験生は肩慣らしに防衛医大をお試し感覚で受けることがしばしばある。私もそうだった。

択一式の一次試験を無事突破した私は、埼玉の会場で行われる二次試験に備えていた。二次試験では東大受験対策の中で全く触れていなかった小論文が必要なので、対策本でもちらっと読んでみるか……。そんなふうに考えていた時期に事が起きた。二次試験の数日前のことである。

 

夜中に急に胃がもたれるような感覚に襲われ、ものすごく気持ちが悪い。翌朝は何も食べることができず、三回吐いた。嘔吐することなど十年ぶりくらいだったはずだ。三回目には少し血が混じっていたので、これはまずいと病院に駆け込んだ。

 

診察をしても、原因ははっきりしなかった。おそらく受験のプレッシャーが胃に来たということなのだろう。その日からしばらくはほとんど何を食べても気持ち悪かった。まあほぼ何も喉を通らなかったのだが、それでも気持ち悪いことこの上なかった。そして、これが私だけなのかどうかは知らないが、吐き気を感じているときは気分がものすごく落ち込む。普段死にたいなどとは全く思ったこともないような人間の私が、埼玉の受験会場で「俺こんなとこで何やってんだろ、、死にてえ」と思っていたのは懐かしくも忌々しい思い出である。(ちなみに、同じく防衛医大を受験していた友人の支えもあって、防衛医大には受かることができた)

 

そして心療内科

この時と、同じ感覚だった。さらに悪いことには、気持ち悪さを我慢して無理やり寝ようと布団にもぐりこむと、ひどい気分の落ち込みと共起して、何か頭の中に金属が埋め込まれた人間のかかとのような、歪なサッカーボールのような物体のイメージが浮かんできて、それがとても恐ろしいのである。なぜかはわからない。「上司に怒られる」といったような、理解しやすい意味のあるストーリーでなく、私にとって何の意味も持たないはずのただの物体のイメージがとてつもなく怖かった。これは今でもよくわからないことの一つだ。

 

前回調子が悪くなった胃腸が本調子になるまでに約一年弱を要したこともあり、今回会社を休んで病院にいくことにした。心療内科である。実家の近くに精神病院があり、そこの入り口のところにはいつも同じおじさんがいて、ただ道を眺めていた。とにかくずっと眺めていた。朝から夕方まで。十年以上。そのおじさんのせいなのかは知らないが、心療内科に行くのには若干の抵抗を覚えた。雑居ビルの一室に入ったその空間に立ち入ると……平日だというのにたくさんの人がいた。若い人もいれば中年もいる。男女半々くらいか。一見してそこらへんのおじさんおばさんにしか見えない人もいれば、私には見えない何かと会話している人もいた。その空間には不思議と安らぎを覚えた。吐きけがして気分は落ち込み不調には違いないのだが、なんだろう、仲間を見つけたような感覚、とでもいおうか。久しく味わっていない感覚だった。(会社の同期には研修生活を通じて割と友人ができていて、プライベートで飲みに行くこともあり、それはそれで楽しかったのだが、心療内科の一室で私が患者たちに感じた同族意識はまた異なったタイプのものだった)

 

自己紹介その2

前回の続きです。

 

地獄の店舗配属

 

研修が終わり、我々研修生は全国の支店へと配属されていきました。私が配属されたのは、都心の店舗で、忙しさは全国の店舗でも有数でした。ピーク時の混雑はかなりのもので、先輩もとても新人にものを教える余裕などなく、質問に行けないケースが多かったので、お客さんの質問に対して答えられないときなどは、そりゃもうどうすればいいか戸惑ったものです。

そういったことももちろん辛かったのですが、私がまず初めにもっとも辛かったのは、教育係との相性でした。私を担当したのは無表情な女性で、とにかく私にはこの人が何を考えているのかがよくわかりませんでした。とにかく表情がないので、怒っているのか、はたまた機嫌がいいのか……。私のミスに対してただ淡々と指摘をする、という流れが一日中続きました。この先輩の無表情が時に怒っているように見え、自分にとっては中々にストレスフルでした。また、他の新人は単純な接客のほかにも営業方法などを教わっていたのですが、私はこの先輩に接客の基本すらできていないと判断されたのでしょう、一切営業をやらせてもらえませんでした。私は知らない人に営業をかける、ということにほとんど苦痛を感じないので、むしろ営業に対するやる気はあったのですが、先輩に禁じられてしまってはどうしようもありませんでした。(ただ、実際単純接客でよくミスもしていましたので、この先輩の判断を単純にクソ認定することは私にはできないです)

書いていて若干気分が悪くなってくるのですが、続けます。先輩に営業を禁じられても、そんなことは店舗の運営を決める人とは何の関係もないので、私にも容赦なく営業ノルマが課されました。あくまでもホワイト企業なので、営業ノルマを達成できなかったからといって上司に詰められたりするようなことはありませんでしたが(というか全く営業実績を挙げてないような先輩のおっさんも普通にいた)、私が何の成果も出せない横で、同期が着実に結果を出しているのを見ていた時は、お腹のところに嫌~~な感覚を覚えましたね。

 

先輩が新人につきっきりで教える期間は二週間ほどで終了したので、この嫌な時間自体はすぐに終わりましたが、これを皮切りにだんだんと職場に行くのが苦痛に感じられるようになっていきました。無意味にしか思えない朝礼。たまにある飲み会(新人もフルプライスで支払い)。存在意義を感じられない事務作業。たまに来る頭のおかしい客(なぜか人工知能が発達して我々の仕事はもうすぐなくなる、と私に文句を言っていた)。自分のミス……。それらの連続の中で私が考えていたのは

 

気絶してえ~~

 

ということ、ただそれのみである。とにかく気絶してすべての感覚を遮断したかった。

意気揚々と社会に出た私はいつのまにか不幸な何かになり果てていたのである。

 

この話はもう少し続きますが、いったんこの辺で切ります。また明日。

 

自己紹介

皆さん、はじめまして。

せり沢ゆうきと申します。

 

私は今年東大文学部を卒業し、金融マンとして社会人デビューを果たしました。しかし、わずか二か月でメンタルをやられ休職。おそらくこのまま退職すると思います。

 

そんな私が、日々社会や生活について考えたこと、感じたことなどを記録していくためにこのブログを書き始めました。どうか暖かく見守ってやってください。

 

初の投稿となる今回は、もう少し詳しく自己紹介をしていきたいと思います。

私は一浪して東大理二に入学し、新振りで文転して文学部に進学。金融業界のとある大企業に就職するも抑うつ状態に陥り、心療内科を受診しそのまま休職しています。

ちなみに就職した会社はいわゆるブラックではなく、むしろ結構なホワイト企業でした。仕事はそれなりに忙しいものの、新人はほとんど残業することもなく、残業があったとしても残業代はきっちりでる。離職率も低いほうでした。確かに給料は低かったのものの、自分は特にお金を稼ぎたい願望が強かったという訳でもなく、ただ「それなりに安定してて、プライベートも充実させられそうなところがいいや~」とぼんやり考えて選んだのがここでした。

 

こう書くといかにも悪い点はなさそうに思えます。しかし、自分との相性という点では、ここは最悪でした。

 

まず初めに辛かったのは研修です。入社式の後すぐに研修がはじまり、二週間の共同生活。見ず知らずの相手と相部屋で二週間過ごすことは、私にとっては非常にストレス

に感じられるものでした(尤も、この相方が超いいやつだったため、徐々に打ち解け最終的にはプライベートで飲みに行ったりするようにもなりましたが(笑))。

研修は座学が中心で、配属後の窓口業務に関する講義を中心に、接客やセールスに関するロールプレイングを適宜行っていくスタイル。大学時代にファイナンスに興味を持っていたこともあり、運用部門で働きたかった自分には、支店の窓口に関する講義は退屈で、研修所の飯はまずいわ、朝は早いわ、自分の時間はとれないわで、そりゃもう苦痛でした。

実際の店舗での業務を経験した今からすると、この研修は天国でしかないのですが、長くなりそうなので、いったん切ろうと思います。

 

ではまた次回お会いしましょう