【自分語り】大学時代のほろ苦い思い出
こんにちは、せり沢です。
前の記事で、中学時代のことを書いたので(下記参照)
今回は大学時代のサークルの話を書こうと思う。
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前回ちらっと書いたが、私はサークルをいくつか辞めている。
その多くは新歓だけ行って、いつの間にかフェードアウトというパターンだ。
なので、厳密にいうと辞めたのではなく入らなかったという方が正しい気もするが、まあ、細かいことはいいんだよ!
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入学当時、私はテニスサークルに謎の警戒感を持っていた。
テニサーに入れば基本的にパンツをはくことを禁じられ、水の代わりに焼酎を飲まなくてはいけないのだと信じていた。
私は後に、むしろ一番普通の大学生が入るのがテニサーであるとの考えに変わったが、このようにテニサーに偏見を持つ新入生は実に多い。
むしろ乱れているのはダンスとかフットサルであろう。
そういうわけで、私はテニサーをはじめとするスポーツサークルには入らなかった。
私が惹かれたのは、ちょっと大人しそうな、でもどこか個性があるようなサークルである。
初めて入ったのは、有名人を取材するサークルだった。
取材サークルは、私には理想的に見えた。
話を聞くと、先輩たちは作家やら、俳優やらに取材という形式を通じて会ったこともあるそうだ。
有名人に会えるとか最高ジャン!
私は勢いで活動に参加することを決めた。
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現実は甘くなかった。
取材サークルとは言っても、基本的な活動はミーティングである。
考えてみれば当たり前だが、取材には準備が必要なのだ。
誰に取材するのか、どういう切り口で話を聞くのか、取材した結果はどのように発信するのか……などなど。
これらを取材が実行可能になるまで詰めていかねばならない。
その為に毎回毎回ミーティング、ミーティング、ミーティング……。
別にそれ自体は良いのだが、私含め新入生には先輩がミーティングで何を言っているのか全然わからなかった。
「いやだから、その論点については二村仁が著書で述べたように……」
「立花隆がすでに言ってることだけど……」
とまあ、話の中で知らない名前が出てくる出てくる。
私が理系だったからだろうか。とにかく、
何かエライ哲学者のことを話してるのかな?わからん!!
という状態だった(ちなみに二村仁がカリスマAV監督だと知るのはサークルを辞めてからのことであった)。
まあ、そんな感じでサブカルとインテリを足して2で割ったような人が多い印象だった。
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やはり個性的な先輩が多かったように思う。
学校一のクソ真面目な女教師、といった感じの見た目で下ネタとかめちゃくちゃ嫌いそうな女の先輩。しかし、実際は新入生の男にやたらと
「童貞?ねえ童貞??w」
と絡んでくる(ちなみに当時の新入生は全員童貞だったと思う)。
あとは、コミュニケーション能力アップセミナーを開く男の先輩もいた。
とにかく大声を出せばコミュ力は上昇する
という謎の理論のもと、全員野球に全く興味ないのに六大学野球に応援にいったりした(立教にボロ負けした)。
彼らは愛すべき先輩だったと思う。
今でこそ、そう思える。
特に、前者のやたら「童貞かどうか聞いてくる先輩」についてはそうだ。
何故なら、彼女と同じ女子高に通っていたという人物にその先輩のことを話したところ、
「ああ、あの人?う~ん、私もそんなに知ってるわけじゃないけどめちゃめちゃ真面目な人だよね?」
という返答だった。
……そうなのだ。
おそらくその先輩は高校時代、自分をさらけ出すタイミングを見失って、3年間不本意な真面目キャラを演じざるを得なくなった割とかわいそうな人だったのだ。
あるいは、大学デビューに失敗して、絶妙に変な感じの溝にはまってしまったのかもしれない。
いずれにせよ、愛すべき人種ではないだろうか。
しかし、昔はこう考えるだけの余裕はなかった。
単純に「なんかついていけね~~」という感覚。
そして、毎回のミーティングで何も発言できないことの負い目だけが心に蓄積していった。
他にも、サークルから出される課題が面倒だったというのもある。
いつの間にかそのサークルには行かなくなっていた。
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集団行動が苦手なのは今も変わらない。
昔から、集団で会話する、ということが苦手だった。
今でこそ、集団での会話は技術でどうにでもなるという風に思っているが、心理的に結構負担であることは変わらない。
……他の辞めたサークルの話や、逆に定着したサークルの話、開き直って飲みサーを主催し始めた話も書こうと思っていたのだが、長くなったのでまた後日書いていきたい。
※特定を避けるために所々フィクションをまぜてます