東大卒無職が働かずに生きるブログ

東大卒が感じた社会の厳しさを綴るブログです。開発したサービス(フリマルっていいます)の話もちょくちょく

【自分語り】クラブ活動へのやる気で社会適応度が分かるって話

私は集団行動が苦手だ。


中学ではクラブ活動を一年たたずに放り出し、大学ではサークルをいくつか辞め、あまつさえ会社さえも二か月で退職した。

 

大学時代は続いたサークルもあるにはあった。

しかし、それは基本的に個人で活動し、たまに定例会と称して集まって駄弁るだけの極めて「緩い」サークルだった。

私は、チームプレーというものが蕁麻疹が出るほど苦手なのである。

 

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中学時代、私が入ったのはバスケ部だった。

友達に誘われるままに入部し、競技そのものには正直情熱をもっていなかった。

今でもバスケ自体は好きなのだが、先輩やコーチに気を遣うのも面倒だし、

しんどい練習に耐えてまで上手くなりたいとは思わなかった。

 

そんな私は、すぐに練習をサボるようになる。

夏休みは部活にもいかず、当時ハマっていたマキシマムザホルモンを家で聴きまくっていた。

あるいは、補修があるふりをしてあえて練習に遅刻していく。

 

サボり友達がいたのも私にとっては幸運だった(もしくは、不運だった)。

部活をサボって学校近くの古本屋に漫画を読みに行くと、大抵バスケ部の先客がいる。

 

「お前何サボってんねんww」

「いや、お前もやろwwww」

 

と笑いあう私たちの間に芽生えた謎の仲間意識は、多分他の人間には決して理解できまい。

 

中々よどんではいたが、あれは実は青春だったのだ。

 

そして、当時「モンスターハンター」が爆発的に流行っていたことも事態を一層悪化させた。

 

あのゲームは中学生には麻薬である。

 

我々はバスケもせずにひたすら近所のマクドナルドでモンハンをしまくった。

一体何頭のリオレウスが犠牲になったのだろうか。

 

モンハン末期中毒者と化した我々。

 

最早、PSPの音を出す必要すらなくなっていた。

ゲームの画面を見ただけで、脳が自動的にその場面で流れているであろう音楽を予想し、幻聴が聞こえるからである。

 

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モンハン、古本屋、マキシマムザホルモン

 

これらの三種の神器を手にしてしまった私がバスケ部をやめるまでに、そう時間はかからなかった。

運動系の部活に所属していると、休日も試合で潰れてしまう。

そう、三度の飯より重要なモンハンの時間が削られてしまうのだ。

自分たちが出もしない試合の応援や、荷物運びのために空費される日曜日に、とても歯がゆい思いだった。

 

トーナメント形式の大会では、負けると早く帰れる。

我々はバレない程度に相手チームを応援するというクソ軍団と化していた(当時の相手チームの応援歌をなぜか今でも覚えている)。

 

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しかし、そんな私にもやはり葛藤はあった。

 

……接戦に競り負けた先輩が流した涙。

それを見たときのハンパない後味の悪さ。

相手を応援してました、スマンという心の中での謝罪。

蓄積していく屈折した感情。

 

もう、いいんじゃないか。

 

……皆もそう思ったのだろうか。

 

私たちはバスケ部を辞めた。

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辞めたのは私をふくめて4人。

 

……その後の私たちがどうなったのか。

私ともう一人は一浪して東大へ進学、もう一人は二浪の後、地方の国立大へ入り、最後の一人は高校をやめた。

そして私は東大卒業後、速攻で会社を辞め、二浪した彼は大学在学中からバー経営をはじめ、高校を辞めた彼はフリーのイラストレーターをやっている。

 

私とともに東大に入った彼は、今頃大学院にいるのだと思うが、最近の事情はあまり知らない。ただ、大学生活は色々と苦労しているように見えた。

 

こうしてみると、社会のレールに乗れるかどうかは、「中高時代に部活に適応してたかどうか」とかなり相関するように思えるがいかがだろうか。

 

最近中高生を見るたびに「あいつらはいいよなあ、あの頃にもどりてえなあ」とか感じてたけど、やはり思い出は美化されてるものだ。

今回冷静に思い出してみて、中々に屈折した時間の過ごし方をしていてビビった。

 

……長くなりそうなので大学のサークルのことは改めて書くことにしよう。

ていうか、これ以上書くと精神がもたないので。

 

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結論:マキシマムザホルモンのダイスケはん、ヘルニア手術成功おめでとう!!!!