東大卒無職が働かずに生きるブログ

東大卒が感じた社会の厳しさを綴るブログです。開発したサービス(フリマルっていいます)の話もちょくちょく

ツラツラの実の能力者(基本よまなくていい記事です)

あまり詳しくはかけないのだけど、嫌な予定が一つ終わった。
まあ、想定通りの苦を味わった。

苦痛の夜、私は眠れないなりに必死に彼女のことを考えることに努めた。
今ごろは遠く離れた場所ですやすや眠っているのだろうか、など。
あるいは、こないだ二人でやった馬鹿馬鹿しい遊び、など。

人生の苦痛の大半は、周りの人間に起因する。ぼかす為にあえて抽象的に書くと、私の苦は、特定の人間たちと関わるときに、まるで自分がそこに存在していないかのような感覚を味わうことにある。

集団行動を強いられた時、その集団内に存在する(ことにされている)いくつかの立ち位置、というか役職というかキャラというか何というかの、いずれにもスッポリ収まっていない感じ。

本来私は孤独など苦にしない。人間と会わなければ寂しいという感覚はほとんど摩耗しきっている。むしろ、孤独も突き詰めると自由であり豊かなものである。社会的な存在として自己を規定する必要もなく、孤独の時に私は何にでもなれる。

 

しかし、これが望まぬ人間関係を強要されるとなると全く話は別である。
人の中に居ながらにして感じる孤独は、言うなれば歪な形の鋳型に自分を無理にはめ込もうとする行為であり、その苦痛はデカい。自分らしさが全く感じられない。いたたまれない気持ち。まあ、そういう状況を最小限の苦痛で乗り切るための技術もいくつか覚えたので、昔に比べるとうまくやってると思うが、それでも限度がある。

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まあ逆に、辛い状況でも希望を持てるようになったことはデカいと考えるか。つまり、ツライ夜に心に思い浮かべる人がいることに注目する。基本的に愚行しかしない私も、そういう繋がりを人と持てたということ。それは快挙だと思っている。

 

ただバイト先が崩壊してきてるせいで、友達はどんどん辞めていくし、なんだかんだ疎遠になっていくんだろう。もう勘弁してくれや。