東大卒無職が働かずに生きるブログ

東大卒が感じた社会の厳しさを綴るブログです。開発したサービス(フリマルっていいます)の話もちょくちょく

もうクズ院生でもなんでも構わんという話

いつ頃からだろうか。

 

「辛さ」というのが最早概念ではなく、質量を伴って感じられるようになった。

それは頭の中を抜け出して、胸のあたりに確かに存在する。

 

冷静に観察してみると、嫌なことが起きているその瞬間よりも、嫌なことを「嫌だなあ」と一人部屋で想像しているときの方が不安・不快の質量がでかい。

 

大学院生活の不快はすごい。

だが、今日は比較的調子がいいので

「いや、そうはいってもたかが学校じゃん。二年間とりあえず必要最低限だけ顔出しておけばとりあえず卒業はできるでしょ。どんなにクソ学生に堕そうとも、卒業後には何の関係もないっしょ」

と自分を励ましてくれる自分がいる。

 

 

冷静に考えれば、不快なことを「不快だ」と感じすぎるこの神経の細ささえなければそんなに問題もない気もする。ただ単に2年フルに使って生き方を見つければいいのだ。「先」さえ見つかれば大学院でどう過ごしたとかクソの意味もない。

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しかし、この無意味な繊細さは割と病気に近いものだと感じる。

というのも、昔から割と神経質な方で苦労も絶えない性格ではあるのだが、子供の時はまあそれでも「普通」の範疇だった。

毎日小学校に遅刻せず通うことができていたし。

 

よく考えると、中学くらいから徐々にバグって行ったのだが、中高一貫校ゆえ環境の変化も少なくあまり顕在化することもなかった。

 

ただ、これが学部入学以降、東京での一人暮らしに感じる不安感がけっこうデカかったり、当時も異常に苦痛に感じるイベントがあったりと、徐々に社会不適合者の本質が露呈してきた。

 

なんか客観的にみて大したことないな~って思えることでも主観的に感じる苦痛が半端ないんすわ。

しかも年々酷くなってるというタチの悪さ。

 

小学生の時出来てたことがほとんど出来なくなってきてるんじゃないかな。

 

今の感覚でいうと、むしろあのクソヤバイ環境の中何も感じず小学生してた当時の自分の方がヤバイ奴ではあるけども、少なくともこれほどの生きづらさを感じることもなかったわけだ。

 

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最近、街のさびれたアパートに移り住んで日雇い労働をしながら暮らす妄想をよくする。

こないだ「もしも、親が教育にカネをかけない家庭に生まれてたら、自分は新宿のキャッチになってたと思う」と知人にいったら「確かになってそう」と言われた。

 

「そういう」仕事に就く妄想をよくする。

 

その間は、社会からも学校からも親からも、今隣の部屋で大声で盛り上がってる大学生集団からも自由になって、都市に住みついた一匹の動物になったような気がするのだ。

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会社員時代、初めて行った心療内科では、目に見えない何かと会話する人とかもばっちり存在してたけど、それを見たときはなんか、ほっとしたんだよなあ。

 

 

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