東大卒の私がコンプを感じる対象
こんにちは、せり沢です。
季節の変わり目だからか最近テンションが下がり気味です。
今日は、私のコンプレックスについて書こうと思います。
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東大生はその実、コンプまみれだとよく言われる。
高校まで学力によってアイデンティティを確立していたが、
東大に入ってみて、自分より頭の良い人間に囲まれ、敗北感を知る者。
また、イケメンで他大の可愛い彼女がいる奴(全然勉強してない)が自分より頭いいという現実を嘆く者。
まだある。
実家が金持ちな人間が多いため、「育ちが悪い」ことに引け目を感じる者。
もともと根暗が多い東大生に悩みのタネは尽きない。
というか私も例外ではない。
今さっき気づいたが、私にもコンプの対象がある。
それは、「根拠なく幸せそうなやつ」である。
金が無くても、特別な能力がなくても、なんか楽しそうな人間。
常にヒカキンの動画みたいなテンションが維持できている人間だ(ヒカキン自身は金も能もあるが)。
こち亀の両津みたいなやつといってもいいかもしれない。
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逆にただ優秀なだけの人間には何の感情も抱かない。
東大内に限らず、自分より優秀な奴など腐るほどいた。
勉強面ですら、そうだった。
まず、小学校の時通っていた塾にすら自分より地頭が良いと思われる少年が一人存在していた。
しかし、最近の私にとってこういった人種はもはや本当にどうでもよくなってきている。
先述の少年のフェイスブック垢をこないだ発見したところ、
「自分の頭の中には昔から女の子が住んでいる」
という趣旨の投稿をしていた。
学力的な意味での優秀さなど、突き詰めたところで「浮世離れした変な人」が誕生するだけではないのか。
勿論中にはその方面を極めて、大学教授になったり凄い発見をしたりという者もいる。
しかし、その足元には何倍もの夢破れてただの廃人と化した者たちの死骸が埋まっていることを忘れてはならない。
全国模試で成績優秀者に名前を載せていたやつらでも、数学オリンピックとか出てた奴らでも、その大半はどこかで挫折していくのだと、そういう風に感じる。
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今までの人生で、自分はある程度知識のインプットはしてきたのではないかと思う。
「強い人」に比べたらゴミみたいな知識量かもしれないが、世の中一般の平均に劣るということはあるまい。
もう今は、ただ楽観的な思考が欲しい、ただそれだけだ。
両さんみたいな感じのノリになるべく、なんとかやっていきたい。
てか、飲むだけでハッピーになる薬をだれかくれ。
(終わり)