東大卒無職が働かずに生きるブログ

東大卒が感じた社会の厳しさを綴るブログです。開発したサービス(フリマルっていいます)の話もちょくちょく

東大卒無職が親戚の集まる場所に行くとこうなる

こんばんは。東大卒無職のせり沢ゆうきです。

 

いきなりだが、無職にとって一番やっかいなものとはなんだろうか。

 

……………。

 

……。

 

それはズバリ親戚の集まりである。

よほどのメンタルタフネスを持つ猛者以外、親戚に対して堂々と「無職です」とは言えないものであろう。

例え、定職についていない場合でも、せめて「夢に向かって、頑張っています!」的なポジティブな回答をしておかねばならない。

なぞのポジティブ圧力が働くのである。

 

そんなポジティブ圧力の濁流の中に、奇しくも今日放り込まれた私である。

親戚の葬式に行ってきたのだ。

普段は無職生活を謳歌している私だが、今日ばかりは無職の肩身の狭さを実感したので、ここに記しておこう。

 

  目次

 

 

無職が葬式に駆り出されることになった

いつものように部屋でyoutubeを観ていると、とつぜん母からラインがきた。

なんでも親戚が亡くなったという。

80を超えるおじいさんなのだが、最近体調がすぐれないことは聞いていた。

しかし、まさか本当に亡くなってしまうとは。

 

私は、昔そのおじいさんがまだ完全におじいさんになる前(おじさんとおじいさんの中間だったころ)、ソフトクリームを食べさせてもらったことを思い出し、物悲しい気持ちがにわかに沸き立つのを感じていた。

死んだ人間はもう戻ってこない……。

 

しかし私には感傷にひたる時間すらそうたくさん与えられてはいなかった。

この時、きわめて生々しい問題が発生していたのである。

 

葬式である。

今現在無職の私は、はっきり言って親戚にはマジで会いたくない。

東大合格の後、親戚に対しまあまあドヤってた気がするので、無職になりましたと宣言するのはとにかく苦痛なのである。

 

むろん、かつて東大入試を突破した私の頭脳は、「葬式を欠席する」という解を1秒未満でサジェストした。幸い私は遠方に住んでいるので、それなりに欠席の言い訳は立つような気もする……。

……。

……。

 

その時、私の脳裏に浮かんだのは、いつの日かそのおじいさんが私(と姉)に食べさせてくれた、あのソフトクリームである。

……あの時手渡されたソフトクリームは、何やら妙に生ぬるい感じがして、子供心に少しだけ抵抗感を覚えていた。

 

あれから十年以上が経過した。今、私は、本当に心がこもった行為ほど、受け手に素直に届かないことがあることを知っている。あのソフトクリームは、そのおじさんが私と姉に真心を生のままぶつけてきたからこそ、あんなに生ぬるかったのではないか。

 

そんなことを考えて、私は葬式に行くことにした。

 

なぜか親戚中に東大卒であることが知れ渡っている

急遽新幹線に乗って帰省した私は、ざわつく心を抑えながら式場に向かった。

そういえば喪服を着るのははじめてかもしれない。

最近全くスーツを着ていないので、ネクタイを締めるとき少し手こずったりした。

 

会場は、ほとんど今まで見たことのない爺さんや婆さんで埋め尽くされていた。その中に喪主のおじさんを見つけ挨拶する。

 

「東京からわざわざ来てくれてありがとうなあ。仕事は休んできたんか?」

 

と問われ、

 

ええまあ、そんなところです

 

とゴミ屑のような返事をする。

 

……この日はそんなやりとりが何度か交わされた。

しかし、見たことのない爺さんや婆さんがなぜか私のことを知っていて「東大いってるんだってねえ?」的な絡みをしてくることが頻繁におきた。

 

さすがに田舎はこういう情報が広まる速度が半端ないなあ、皆同じグループラインにでも入ってて、誰かがそこでべらべら喋ってるのかなあ、などとぼんやりと考えていた。

 

「東大に入れば女子大生にモテる」。本質的な意味で知能が欠如した男子高校生は、そう考えて必死に「大学への数学」を解きまくり、そして実際に東大に入学する。そんな輩は毎年大量にいるのであるが、彼らに言っておきたいのは、東大ブランドをありがたがってくれるのは基本的に親戚だけだということだ。

 

できるだけ話しかけられないように頑張る

よく知らない親戚に絡まれるのを避けるべく、私は色々な知恵をこらした。

まずは、一連の葬儀にとにかく集中すること。

本当に集中した人間というのは、他人が近寄りがたいオーラを放つものである。

 

火葬の後、骨壺に骨を入れる手順などを係のおじさんがごにょごにょ説明している。

そういう時、そもそも親戚同士の雑談が発生しないよう、説明を全力で聞き、たまに相槌をうったりする。なにもすることがない時でも、とりあえず係のおじさんをガン見しておく。こうすることで、私に気軽に話しかけることができる人間はあの場にはいなかってはずだ。もはや、私は無職でありながら、場を完全にコントロールしていた。

 

 

……それはそうと、自分の骨が皆に晒された挙句、色々解説されたり、感想を言い合ったりされるのって普通に嫌じゃないだろうか。

私は普通に恥ずかしいので、死んでもそういうことはせず、その辺の川にでも死体を流しといてほしいが。

 

 

とにかくごまかすべし

 

もう最後のほうになってくると、私も色々とめんどくさくなってきて、

 

「東京で頑張っててえらいねえ。明日も仕事?」

 

などと聞かれると

 

ハイ!!!

 

と元気よく返事をしていた。

実際私は東京で頑張って生きている。

これは決して嘘ではない。

 

それに何が仕事かなんて、感じ方は人それぞれであろう。

 

……これでいいのだ。

 

これでいいのだ。

 

そう自分に言い聞かせながらも、やはり葬式という場で色々とやましいことがあるのは気持ち悪かったので、そういうことをしなくて済むように色々頑張ろうと思った(結論)。