優秀さとかいい加減どうでもいいって話
大学院にいるとよく優秀な人間に出会う。
この場合優秀というのは、理解力がすごかったり、専門分野についてクソ詳しかったり、華々しい業績を上げていたり、という意味だ。
そういう物差しで測った時に、おそらく日本でもトップレベルの人間を目にする機会が多くある。昔は、そういう人間に憧れもした。また、そういう人間を目指そうと意気込んでいたからこそ東大にも入った。高校生の時の私はドイツの数学者のガウスを尊敬してたのだ。
しかし、人生における諸々の苦を味わうと、知性など自分にとってはどうでもいいものだと思うようになった。「頭がいい」ことは一つの特徴ではあろうが、「金魚すくいがうまい」「輪投げがうまい」等と何も変わらない。むしろ、知恵は苦しみの素ですらあるだけそれらよりタチの悪いものだとすら思う。
私は今大学に話せる知り合いもほぼいない状況なのだが、今日は珍しく昔の同期と会話した。彼もまた中々複雑な身の上なのだが、なんにせよ大学院から充実感の類は感じていなさそうだった。
やることが高度になればなるほど、息が詰まる感じがする。もしかしたら内容自体は面白いのかもしれないが、いかんせんアカデミアという人間の輪自体が苦痛であるためか、まったく満足感はない。
一方で、優秀な人を見て、自分ももっと学びたいと思うこともある。
しかし、冷静に世の中を見ると、社会的成功は、大学的な知恵とは何の関係もないことがはっきりわかんだね。
今の私の苦も、知恵が足りなかったから生じたとは全く考えられない。別に自分をすげー賢いとか言いたいわけではなく、単に社会に、他の人間の群れに適応できなかったことが苦の原因であることは言うまでもない。
ここの空気を吸っていると、また「ハイレベルな場所を目指したい」というような本当に自分の内から湧いてきたのか怪しい衝動のかけらを感じることがある。
でももう、そういうのより、自分が自分らしく過ごせる群れを探したい。
学ぶことは楽しいけど、それは趣味でだらだらやってたらいい。ガチでやるのはなんか息苦しくて、楽しかったものも楽しくなくなってしまうからさ。
まあもちろんガチでやるのが好きな人は好きなだけそうしてればいいけど。
稲中卓球部みたいな空間で生きたい……生きたくない?
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