東大卒無職が働かずに生きるブログ

東大卒が感じた社会の厳しさを綴るブログです。開発したサービス(フリマルっていいます)の話もちょくちょく

親を介護するということ

大学院の講義で、先生が親を介護したときの話が出た。
その先生は家族の介護の必要が生じたとき、大学での職を辞めるか真剣に検討したが、ロシア人かなんかの同僚に辞職の代わりに仕事の手を抜くことを勧められ、大学に残留し、今に至るそうだ。

 

私は、その講義のリアクションペーパーとして、

 

「親の世話をする」ことで親子の関係にどういう変化が起きるのか気になった

 

と書いてメールで先生に送付した。正直あまり講義を聞いていなかったので、何かしら適当に書いて終わらせた感は否めない。しかし、私の場合他人の反応を引き出すのは、真剣に考えて生み出したものよりは、軽い気持ちでひねり出したものの方が多い。

このブログでも割と適当に書いてたり、ウケを狙って書いた記事ほど人気だったりする。

 

先生から返信が来たのは先ほどのこと。授業のコメントに対して返信が来るのは初めてだったので、返信が来たこと自体にまず驚いた。

 

曰く、介護する/される時、親子は複雑に役割を変化させているという。

母親は「母親」になったかと思えば、次の瞬間世話される存在、すなわち「お子ちゃま」に変化したりする。

介護する側も、相手を「お母さま」と呼ぶこともあれば、あれこれ世話を焼くときは「**ちゃん」と呼んで鼓舞したりもする。

 

それぞれが都合の良いように、その場での自分の在り方を流動させていく。この先生は女性の方だが、どうもそういう能力は女の方が長けてるよなあ、なんて思ったりした。

 

まあ、男なんてもんは、力強さとか逞しさ、有能さといった仮面を外すことに恐怖心を感じるもんで、こんな風に器用に自分のキャラを変えることは中々できんもんで。

そういった男ならではの生き辛さは、DNAレベルに原因があるのか、この現代社会に問題があるのか、それは知らん。

 

結局私たちの苦しみも、そういう社会の中でどういう「キャラ」(勝ち組、負け組、普通、異端などなど)に自分が位置付けられるか、という問題に根っこがある。

 

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ほとんどの人間は、相手が何を言っているかなんてのは本当は全然興味なくて、それを言ったのがどういう人間かしか見ていない。

 

要するに、よくよく考えるとクソ浅い言葉でも、有名人が言うとそれっぽく聞こえるってことだ。

 

まあ、東大の名前をブログタイトルにぶち込んで人目を引こうとしてる私がいうのもあれか笑

 

 

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